テンパる

■私も言ってみればサービス業。今は旅関係だが、前は食。
 今、特急田中3号とともに毎週録画してるのが「バンビ〜ノ!」である。結構嵌ってる。
 前職が中華店だった私は、あのすごく架空な店(笑)ながら、メチャメチャ繁盛してて、店のスタッフがドライな感じを観てると、何だかわくわくしてしまう自分に気づく。≡゚д゚)

■お言葉だが、ドラマの主人公、バンビの伴君はまだまだである。回を増すごとに、いい感じになってきてるが…

■前いた店は「殆ど宣伝ナシでひっそり開店」した。コレは凄腕社長の手腕でもあった。「いきなりできるワケねぇだろ!今に繁盛するからそれまでに慣れろ!」と凄い自信。(`、´)
 しかし、暫くして当時は最新情報誌だった雑誌に載ってからは凄かった。さすがに最初はバンビ状態ヘ( ̄□ ̄;)ノ
 一般客にも時間制(90分)を取り、300席以上あったのに地下2階から地上1階まで階段にお客様が並んでくれてた時期があった。
言ってみればパンク状態(爆)。ある意味ヤケクソ(事実だ)。『極限状態で笑いが止まらないってこの事か?』と本当に体験したくらい。
 バイトの子を捕まえて、「代わるからチョット上行って様子見て来い!(爆)」なんて嬉しい悲鳴状態が続いた。
 1日1000名の客数の日もあった。
 あの社長の自信に満ちた言葉は嘘でなかった。完敗。_| ̄|○

■お客様との最前線で動いてくれるのはバイトの子達で、自分は正直ストレスはない立場だったからか、えらく楽しませて貰ってた(笑)。こう言うと失礼かも知れないが…。
 死にそうにバタバタ動いてる子に、"ボソッ"( ^^)rとくだらない事言ったりして(笑)。それが有名だったのも事実(汗)。私的に癒しを与えてるつもりだったが、実際どう思われてたかは聞きたくない。
 ドラマの脇役?のホールの北村一輝(与那役)みたいなキャラだった・・・。彼のフランクさは行き過ぎだが、キモチは分からなくない。「毎日がカーニバル…」うまい事言うねぇ。

■社の指示で、"コチコチのマニュアル化"も考えたが、じっくり作る時間などなかったし、中国人留学生などを含む70名近くを統一させてる余裕もない。
なので、中国人のバイトでホールで採用された時にゃ、「注文は取るな。下げものをしろ!『いらっしゃいませ』はいい。絶対の笑顔で『ニイハオ!(^◇^)』と言えばお客様は喜んでくれる。話しかけられて判らなかったら呼べ!」で戦場に送り込んでた。このときだけ"鬼軍曹"だった。
 でも、留学で日本に来てるような自分より頭のいい子達である事と、同郷(国)同士で上下を作り教えさせてたので、自分が注意したりするのは、「う〜ん(-_-)」と気になったときだけ。その際、直には言わず、その上のスタッフに言う。ズルイかもしれないが、彼らも社会勉強しにきてるんだから、お互いに学べるチャンスではないかと…本当に勝手な判断でそうしてた(~_~;)。それに直に1つ1つ教えてたら私は既に過労死してるね(笑)。

■厨房は本場の中国人(厨士(ちゅうし):中国人コックの意)なので、社員には"ペコペコ"でバイトの子には"べらんめぇ"という、典型的なお国柄丸出しな面子だった(笑)。
で、バイトの子が「言う事聞いてくれない!」となると私の出番だった。
 厨房に入り、ドラマのオーナーみたいにかっこよく「スパゲッティ・ホニャララ…ウ〜ノッ!(`Д´*) 」とはいかないが(笑)、中華だったので、「たんつ〜ろ〜、すぅ〜く〜、しぇんつぉっ!」(酢豚、4つ、先に作れぇ!)みたいな…単語を組み合わせて「コレなら通じるよコトバ」を教わって。
 鬼のように並んでる伝票の中から、何も出てない席のを差し替えて先に作ってもらったり、厨房に入り込んで行って厨士に食材を押し付けて「コレ、しぇんつぉっ!」という感じ。
 明らかに混雑しそうな時や、チーフが休みの日には白衣着て切りカタ(厨士に下準備をして渡すパート)に入り込んで伝票と睨めっこしながら厨士に渡す順番決めたり…。奴らは本当に厄介な人種である。皆が皆ではないケド。

■中華の火力はハンパない。3万、4万キロカロリーは当たり前!家庭用コンロの強いので7000キロカロリーであるからして、いかに恐ろしい熱量であるかお分かりいただけるだろう。そりゃ料理もすぐできるっての(爆)。
なのでコンロ上のダクトからの出火が一番怖かった。雑居ビルだったしね。 
厨房の社員に聞いたら、「汗をすごくかくから、便所(小便)に行かなくなったよ」とも言ってた。なのに厨士達は本当に夏でも温茶を飲む。アレは真似できなかった…(汗)。 そんなコンロ3台+αで並んでるってのに…
 自分は作り手には回らなかった。教わって、"まかない"として自分で食うのは良くしていたが、コレばかりは「自分の料理で金はもらえない」という観念から。

■新人が洗い場などに入れば、ヘタレだと3日くらいで辞めて行く。なので、ドラマでバンビが来たときの「続くか?続かないか?」的な話は確かにあった(笑)賭けまではしなかったケド。

■でも、そんなピークが続く日は3年くらいで、自分が辞める前は週末くらいであった。ちょっと生気を失った感もあり、次の道ってのに興味が沸いてきた。
とても面白い仕事だったが、元々はやりたい仕事でもなかったというのもあり、年齢的にも今しかないか?と退社した。
 でも、凄くキツかったが楽しかった。後悔はしてない。




■今の仕事も4年目に突入する。旅関係は専門学校行ってたくらいだし、スタートのキモチの持ち方が違った。
 今では安定感は多少出てきたつもりである。今までは自分で精一杯だったが、やはり同じサービス系ではあるからして、自分が気になった事はどんどん言ってみよう。と思えるようになってきた。
 今までに5人の新人がきて、3人退社している。若いからいろんな社会を見るいい機会だと思いもある反面、「何もしてあげられなかった自分を憂いでいる」。
 元々やりたかった世界なので、「自分が楽しむというスパイスをひとつまみ、プロとしての自覚を大さじ20杯(笑)」みたいなモノを教えてあげられればいいなと思ふ今日この頃である。

団塊の世代の引退劇がウチにも迫りつつあるので、古き良きは残しつつ、時代にあった革命ってのをして行けたら更に楽しさ倍率ドン!である。ウッシッシッ!。